2月に行う「声とことばのワークショップ 札幌塾」の講師 磯貝氏主催による
「第一回日本俳優ヴォーカルコンクール」に参加したときのことをまとめた文を紹介します。
2005年11月23日、国立オリンピック記念青少年総合センター小ホールにて行われた
「第一回日本俳優ヴォーカルコンクール」本選に参加してきました。
このコンクールを主催されたのは東京のOWS創造塾の代表で音声言語指導者の磯貝靖洋先生。
俳優だけでなく声楽や、様々な声の表現の指導をされている方です。
「俳優ヴォーカルコンクール」って、なに…?とよく質問されるので、初めにコンクールの内容を少しご紹介します。
第一次審査はMDもしくはテープでの審査。
・テスト1 自分の名前、年齢、コンクールタイトルを読み上げる。
・テスト2 母音調音
・テスト3 日本古謡「さくら」の歌唱
・テスト4 イソップ物語より「カナリヤとネコ」の朗読
この四つをそれぞれ採点、合計点上位40名が二次審査へ。
第二次審査は東京のオリンピックセンターのスタジオにて実演
・テスト1 指定された台詞を5種類の条件で演じ替え。
・テスト2 事前に配布された10編の詩から当日指定1編、自己選択1編の朗読。
・テスト3 事前に配布された文芸作品2作品のうち1作品の当日指定された箇所を朗読。
制限時間8分という条件でしたので、課題の途中でもそこで終了ということもかなりのプレッシャーになりました。
これもそれぞれに採点、合計点上位12名が合格となり本選へ。
そして、本選。
オリンピックセンター内小ホールにて実演。
・テスト1 当日配布されたテキストを指定キャラクター、状態での読み替え。
・テスト2 自分で選んだ自由課題
・テスト3 歌唱「椰子の実」 キーは自分で選択指定。ピアノ伴奏あり。
・テスト4 事前に配布された戯曲2編のうち1編を選択、当日指定された箇所をリーディング。相手役とのリハーサルは無し。ぶっつけ本番でした。
制限時間は15分。客席には7名の審査員の他、一般のお客様もいました。
配布されたパンフレットには課題の説明と、その課題で何を審査するのかが明記されていました。
例えば、
<テスト1 テキスト演じ分け「発声力、発語力、役・性格造形力、多様性・多彩さ」>
と言った具合に。
一次、二次と同様それぞれに採点、上位4名が入賞。
私が言うのもなんですが、とても感心したのは、といいますか、とてもありがたかったのは、
合否通知書とともに添付されていた採点表でした。
ひとつひとつの課題に対しての自分の点数と、合格者平均点が記され、
また、声についての評価、アドバイスも記されていました。
一次、二次、最終審査すべて同様に書面で送付してくださいました。
合否に関わらず、応募者全員に対して個々に記してくださったのでしょう。
ひとつひとつの評価が明確なので自分の長所や弱点が一目瞭然です。
厳しい反面、今までこのように評価してもらった事がなかったのでこれからの指針としてとても役立ちます。
これらの審査を経て本選出場はできたものの、結果、入賞することはできませんでした。
本当にくやしい、そう思っています。
ある方は、最終まで進んだのだからそれだけでもすごい、と、言ってくれました。
その通りと思います。
ある方は、ここまで来たのだから入賞できたらよかったよね、と、言ってくれました。
これも、その通りと思います。
審査員の方は「審査員が変われば入賞者も変わったかもしれない、それほどの接戦だった」
とおっしゃっていました。
その通りだったのかもしれません。
本選に続いて、その日の夕方には結果発表、その後審査員の方々、スタッフの方、本選参加者一同に会し行われたレセプションで個々、自己紹介も含め感想等を話す時間がありまして
私の番が回ってきたとき、このコンクールを主催された磯貝先生から
「彼女は北海道から来てくれました」と、紹介され、会場は一気にどよめきました。
「遠くから、すごいなー」そんなどよめきだったと思います。
思いのほか注目が集まり少々舞い上がった私は
「二次審査、本選と二度東京往復した分は入賞して賞金で稼がなきゃって思いましたが残念でした。
ありがとうございます。」なんて冗談めかした言い方で、挨拶をおわらせました。
でもそれは「せっかく受けるならトップを狙う」という本音の部分の現れでもありました。
レセプション会場で磯貝先生と個人的にお話しする機会があり
「ここまで来てくれて本当にうれしい」と言っていただけて、
私としても本当にうれしく思いました。
磯貝先生とはじめてお会いしてからもう十年近くになります。
会食の席でお話する機会は何度かありましたが、指導していただいたのはほんの一日、二日、くらいのものです。
その少ない指導の中で得たアドバイスを日々自主トレするくらいしか出来なかった私が本選まで残り、一年の半分以上は舞台にたっているような入賞者の方々と同じ土俵で競えたというのは本当に幸せな事だと思っています。
そして、今まで自分のやってきたことの方向性をはっきりと自信につなげていこうと考える事が出来るようになりました。
一方で、今活動しているこの場所が中央から遠い事が、成長の度合いの遅さに比例するような環境は変えなくてはいけないし、成長の遅さを距離のせいにはしたくないと強く強く感じています。
どこにいようとも舞台に立つ者としての必要なものは得られる事が出来る。
そしてその事実を例えば東京に、あるいは世界中にいる舞台人の方々にも認めてもらえる。
そんな風にしていかなくてはいけないと。
入賞できなかった悔しさの本当の意味は、この距離を縮めたいと思っていたのに私にはまだ遠かったという事実を目の当たりにしたことだったのかな、とコンクールから少し時間の経った今そう考えるようになりました。
「北海道から来ました」という言葉を聞いたときにどよめかないような。
「あ、そう」くらいに、当たり前に受け止めてもらえるように。
当たり前のことを当たり前にやれる技術と、強いエネルギーと、大きな魅力を今まで以上にもっと貪欲に追い求め、前を向き続けようと、そんな気持ちを改めて持ちました。
ある基準のもと自分の力を審査されるというのは本当に恐ろしいものです。
ですが今いる自分の座標軸が明らかになり、進んでいくべき先の景色が遠く小さくともはっきりと観る事が出来る、そんな機会を得られるというのはなんと素敵な事でしょう。
役者はさらされてなんぼですから。
アンケートの言葉や、カーテンコールの拍手の暖かさを素直に受け止めつつも、
一方でそれのみに頼らず進み続け、変わり続ける。
そのためにもこのようなコンクールには参加し続ける、怖い者知らずでありたいものです。
2005年12月某日 記